水墨画教室
カラオケ       カラオケは歌うほどに元気がでるから不思議です              

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アルコールは一滴たりとも飲めませんが              カラオケは大好きです  

池坊の生花に関り始め、家元が近いこともあり「池坊研修学院」で学び始めた。全国から集まる教授者は年4回泊まりがけで、毎回5日間の学院生活を送るのであるが大抵は2日目の授業終了後に懇親会が開かれた。昭和60年代の後半、その頃は懇親会の2次会といえばカラオケと相場が決まっていた。社会の動静やトレンド、流行の歌などと無縁であった当時は、二次会のカラオケが何とも苦痛で、参加せずに帰ったり、出席しても手洗いに立ったりで歌えないカムフラージュに苦心惨憺であった。

これではいかにも情けない。第一、懇親会の折角のご馳走が消化不良になる。崖っ縁の決断で、近くの公民館のカラオケ教室に通い始めたのが平成2年のことである。それから18年、会員の入れ替わりがあって古さではナンバー2となった。

初めて覚えた歌が、新潟県出身に親しみを感じた小林幸子の「雪椿」であった。公民館のカラオケ教室から文化祭発表に参加する折は、出番を待つ幕間で喉がカラカラに渇き、会員の方が親切に水を持ってきてくれた情景が懐かしく目に浮かぶ。

カラオケの悪夢から20年余の歳月を経て、今でも人前で歌う場合は脈拍が速まるが、以前のように逃げかくれせずに済むようになった。数年前NHKラジオ番組「ふるさと自慢歌自慢」に出場したのも一つの成果かもしれない。もっぱらジャンルは演歌であるが歌手より「歌詞」とか「メロディー」にこだわる。自分の中では積極的な趣味ではなく、仲間を募って歌いに行くことは滅多に無いが誘われると断り辛い。毎週月曜の稽古日にはほぼ皆勤で通い、年2回の発表会には行事が重ならない限り参加する。以来、臆するより前向きな姿勢で臨むことを生活信条としている。



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